季節外れの花火……

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いきなりの花火

 我が家の直近で、なぜか大音響。えっ? まさか、花火? ベランダに出ますと…… 大迫力。ネットで調べたところ「はえばるふるさと博覧会」の打ち上げらしいです。


 細君のカメラ拝借。(CANON EOS-5D-MkIII/F1.8,CANON-50mm,F3.5,1/60,ISO2500)

4 Replies to “季節外れの花火……”

  1. 私が所有していたC40の色そのものです。
    良い色を、お有ちだと思います。

    音はもっと面倒くさいものですが・・・

    1. 斉藤 様
       コメントありがとうございます。細君のカメラを借りて、すべてカメラ任せのフルオートで撮りました。自前の古いカメラで撮ったC40は昔のテクニカラー、みたいな人工的なデフォルメされたいかにもカラーです、という世界になっております。こういう、淡々として自然な再生音を目指しているのですが…… つい説明的な世界になりがちであります(笑)。

      1. 全く関係の無い話をします。
        オーディオの引導です。
        私の器の小さな人生の話に近い。
        読まぬ方が幸福になれると断っておきます。

        正しい音とは何なのでしょう?

        そんなものは無いというのが正解でしょう。

        エリック・ドルフィーは言いました。

        「音楽はその場に顕れて、その場に消える。取り戻すことはできない」

        至言です。

        ならば私とは何か?を想います。

        結局、追体験と僅かなリジェネシスです。

        その場に生まれた音楽は、その場に消えます。

        オーディオマニアは必死に、それを「現」に再生しようとします。

        本当は不可能なのです。過ぎ去ったことを再生はできません。

        そうなると多少の想像力を働かせ、創生しようとします。

        創生とは、そのものではない。

        傲慢にも消えてしまった音楽を新たに生み出す。

        こうなると回答は無い。

        永遠に問答の繰り返しだ。

        近くはなっても回答は無い。

        その繰り返しの裡に音楽があるのです。

        繰り返し絶望するから答えが近い。

        1. 斉藤 様
           長いコメントありがとうございます。なかなか哲学的なお話ではないかと思いながら読ませていただきました。オーディオを浄土へ導いて下さるような、そんな核心をつくご指摘だと感じました。
          『追体験と僅かなリジェネシス』、考えさせられるフレーズです。記憶に残るいくつかの音楽体験がありますが、無名のピアニストが弾いた30年前のある夜のコンサートでの響き、あの世界を追体験したい、という妄想から僅かな、新しい始まりの断片を積み重ねてきたようにも思えます。カラヤンやワイセンベルク、ムローヴァ、そして神奈川県民ホール(小ホールだったか?)ノンPAで聴いたカウントベーシーの、あの陶然として凛々しく潔癖な響きに、音楽の、見落としていた未知の側面を教えられたことを思い出します。そして、まさに『多少の想像力を働かせ、創生しようと』してきた、のだと思います。消えてしまった音楽の、いわば蜃気楼を必死になって追いかけているわけですね。うたかた(泡沫)の人生、とはよく言ったものです。わずか20年先にはもう存在していないかもしれない我が身ですから…… などと斜にかまえてみても、結局は人生、行雲流水のごとし、なのでしょうか。

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