故人を偲んで

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重い思い出

 【幻(まぼろし)は心的表象。実在しないものが目に見えること。たちまちのうちに、はかなく消えてしまうもの。】だそうです。そうはいっても、強烈な印象を伴った記憶はかなりリアルに想起できるものです。愛聴盤のいくつかは、菅野先生の『レコード演奏』において、たとえば教会で録音したソースを聴いた際に、外を走る車のノイズやらがはっきり聞こえたりして、ぎょっとした瞬間のことを鮮明に思い出したりします。録音の良さでいくつかのメディアで絶賛されていたわけですが、プロのレコーディングエンジニアであった菅野先生に言わせれば、基本を外している、ということになるわけです。ご自宅のシステムが恐ろしいまでのレコーディング・モニター、プレイバック・モニターとしての性能を発揮していたことになります。同じソースをわが家のJBL4348で聴きましてもバックグランドノイズはまったく聞こえません。ボリュームをあげると全体がやかましくなるばかりです。

大音量でも音楽それ自体がうるさくならない

 菅野先生宅に通ううちに、その事が痛いほど実感させられ、叩きのめされる悔しい思いが重なりました。なぜ、あの巨大な音量で、音楽がこわばらず、けして特定帯域が硬直しないのだろうか……
 初めて先生にお会いしたのがSS誌のベストオーディオファイルの取材で、我が家の音を聴いていただきました。当時は、テクニクスのモニター1を33素子のGEQで必死に調整していたわけです。今にして思えば実に拙い技しかありませんでしたが、オワゾリールレーベルの何曲かはピンポイントでうまくバランスが整っているとお褒めいただきました。オフレコで、イコライザーが必須のものであることを熱く語られわが意を得たり! と感動したことをはっきりと覚えています。その後、初めて菅野先生の音を聴かせていただいたときは、何か狐につままれたような、『ありえない』世界を知ってしまった恐怖にも似た驚きで打ちのめされたものです。表からは見えない、ラックの後ろ側の小部屋に、実はコントロール機材が隠されていることを後に教えていただきましたが、イコライザーの使い方は人に教えられるものではないし、耳で説明を聞いたり文章で読んだりしても、いい結果は出せんのだよT君! かははは、と。自分で格闘して、見つけないといけないんだ。そうおっしゃいました。そのお言葉胸にいだき30年近い歳月が流れ去りました。自分の壁を越えた、と実感できたのは1年ほど前のことでした。やったじゃないか、T君!! と言っていただけそうな世界でした。が、今はシステムが変わってしまいましたのであの時のレベルには戻れていません。菅野先生をして『終わりのない旅みたいなものなんだから』と言われます。そうなんだ、とあらためて思う次第です。

 思い出の曲を聴いていますが、恐ろしくて現状では聴くきがしないディスクもあります。札幌で落ち着いてから、天国で、先生にニンマリしていただけるように頑張る所存です。そんなことを思って音楽を聴いておりますと、ふいに涙がこぼれます。人の人生、ほんとうに儚いものですね…… あっという間です。

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